ーーコロナ後は、ティップネスのキッズスクールを改めてお客様に選んでもらう「新たな競争」が待っていると考えました。
そう語るのは、「ティップネス・キッズ」事業を担当する株式会社ティップネス スクール企画部の浦野 裕課長。コロナ後の日常を見据えた結果、ティップネスはスクール事業の方針を大きく変えることにしたという。具体的に何を考え、どう変えたのか、ティップネスでスクール事業を担当する浦野氏、橋口氏のお二人に聞いた。
ティップネス・キッズ会員の8割が通うスイミング
現在、ティップネスは「ティップネス・キッズ」ブランドで、スイミングやダンス、テニス、ゴルフ、野球など30以上のスクールを30以上の施設で開校・運営している。特筆すべきは、フィットネス以外にも英会話や書道、プログラミングスクールなど小学校の指導要領に沿ったコースを展開している点にある。
ただ、30を超えるコースを展開しているものの、現在もティップネス・キッズ会員のおよそ8割はスイミングスクールに通っている。そのためキッズ事業の主軸はスイミングであり、未だ根強い人気が続く。
浦野「走ったり投げたりという動きは、生きていく中である程度できるようになるものの、泳ぐという動きは習わないとできませんよね。しかも1人ではできるようにならないのが大きな違いです。それに水泳は小学校の授業で必ずありますから、授業で恥ずかしい思いをさせたくないという親御さんは今も多いですね。」
ティップネス・キッズの前身は、ティップネスとレヴァンが合併した後に「ジュニアスクール」と呼んでいた事業だ。当時はまだ売上構成比で1%にも満たない小さな事業だったが、2005年に「ティップネス・キッズ」にリブランドを実施。このリブランドでそれまでのマニュアルも含め全てリニューアルし、再スタートした経緯がある。
その後ティップネス・キッズ事業は順調に成長し、出店が増え全社業績も成長する中で売上構成比では10%を超えるまでに伸長しており、ティップネス社の事業ポートフォリオにおける重要な存在になっている。
コロナ前、2018年〜2019年頃にティップネス・キッズは一つのピークを迎える。週1回の休館日を設けている店舗にスクールを導入するなど戦略的な動きを増やし、この時点で全店舗の約半数が何かしらのキッズコースを開校するに至った。その結果、キッズ会員の在籍が2,000名を超える店舗は10店舗以上に増加。この頃にはキッズ会員の集客が見込めるエリアに出店をすることも増えていた。
浦野「代表例としては、2018年4月にティップネス・キッズを導入した木場店ですね。商圏分析の段階からある程度自信がありました。現在、木場店は2,000名を超えるキッズ会員が在籍していて、今でも常時キャンセル待ちが続いている状態です。」
コロナ禍で考えたこと
順調に事業成長を果たしてきたティップネス・キッズ事業だったが、市場では新型コロナウイルスが猛威を振るう。だが意外にも浦野は状況を前向きに捉えていた。
浦野「スクール事業においては『辞めたくないけどやっぱり(コロナが)怖い』という方の退会が多い印象でした。つまり復帰されることを前提に退会される方が多いので大丈夫だろうと。それに、コロナ禍になっても教育事業は優先されるだろうとも考えていました。」
成人向けフィットネス事業に比べ、子供向け事業のマイナストレンドが比較的早めに落ち着いたことと、落ち幅が予想よりも大きくなかったことも幸いしたようだ。また、コロナ禍においてはティップネス経営陣の方針も救いになったと語る。
浦野「コロナ禍において経営陣からは『自分たちにとって一番大事なものはなにか』と問い続けられたことも大きかったですね。成人向けフィットネス事業の損失穴埋めのため『早く戻して利益を出せ』ということではなく、このタイミングでキッズ事業を再構築してより良いものにしようという話が並行できたのが本当に良かったと思います。」
とはいえ、コロナ禍でティップネスも他社と同様に厳しい事業状況に変わりはなく、予定されていた出店以外の大型投資はストップ、全体としてコスト削減に動いた。その最中、浦野はコロナ禍で時間的な猶予ができたことを逆手にとり、コロナ後を見据えて動くことにしたという。
浦野「コロナ後のスイミング事業を見据えたときに、コロナ前の状態に戻すのか、それとも新しいものに再構築して新たなスタートを切るのか、ここをまず決める必要がありました。保護者の目線で見れば、コロナ禍で『子供の習い事』にも新しい選択肢がたくさん出てきた。そうすると、コロナが落ち着いたからまた同じ状態に何も考えずに戻るのかというと、違うのではないかと。おそらくお客様は『必要なもの、必要ではないもの』を『再選択』した上で、徐々に戻っていくんだと思ったんですね。であれば、改めてティップネス・キッズのスイミングスクールを選んでもらうための『新たな競争』が待っている。今までよりも更に良い事業、サービスに再構築する必要がありました。」
ティップネス・キッズの事業価値を再定義・再構築することを選択した浦野は、それまで課題として考えていた「40年以上変わらないスイミングスクールの教え方・子供の学習体験の改革」に取り組むことを決める。
再構築の肝は「学習体験」の改革
橋口「子供達にスイミング指導をする場合、泳ぐ方法を伝えるだけではいけないと思っています。同じ伝え方で伝えても子供それぞれ理解の度合いは違います。弊社では水泳指導方法はもちろん、子供達ひとり一人の特性を見極めてその子にあったコミュニケーションを行うために、子供の特性を深める為の研修を行ってきました。」
自身もスイミングコーチからキャリアをスタートした橋口氏は、現場・マネジメント二つの視点から感じていた課題と現場のリアリティについて語る。
橋口「研修を行ったとしても、それが現場で活かせなければ意味がないと思っています。子供達がわからない事、不安に感じていることを汲み取り、やる気を引き出して楽しく学べるようにするには、マニュアルの枠内だけにとらわれず、コーチが研修で学んだことをもとに、現場で考え判断し実行することが重要になります。そこにはどうしてもコーチごとに属人性という『差』が出てしまう事もあります。スイミングスクール事業としてこの状況を見ると、これは全体的なサービス品質の向上を著しく難しくしている要因の1つなんです。ティーチング・コーチングの観点から見ても、子供の成長に対して効率的・効果的にアプローチできているかといえば、改善の余地はまだあるわけです。」
美容室やパーソナルトレーニングジムなど属人性と戦う業態は多い。意外にも属人性の薄そうなスイミングスクールにおいても足を引っ張っているという。確かにスイミングスクールは、日本のフィットネス業界において祖業とも言える業態だが、そこでの学習体験には大きな変化が起きていないのが事実だ。
浦野「ヒントになったのは、ティップネス・キッズで運営しているプログラミング教室なんです。プログラミング教室を運営している中で、子どもたちが『自分で答えを見つけにいく』『建設的に物事を考えることができる』ようになる様子を見て、この学習体験は絶対的に必要だと考えるようになりました。いわゆる『アクティブラーニング』です。子供が能動的に興味をもってくれる方が長続きしやすいですし、もちろん上達もしやすい。ひいてはプール内の秩序も安全面も保ちやすく、コーチの指導にとってもメリットがあると考えました。」
ティップネス・キッズのスイミングスクールでは競技コースを設けておらず、競技レベルの選手を生み出す方針ではない。だからこそ「新たな競争」に向けて、新しい提供価値を明確を打ち立てる必要があった。そこで浦野達は、ティーチング方針において子供の能動的な学習姿勢を育む「アクティブラーニング」を核に再構築することにした。
浦野「ティップネス・キッズでプログラミング教室を導入する際、周りから当然の反応として『なぜフィットネスクラブなのにプログラミングなのか』と聞かれました。私はアクティブラーニング能力を育んでもらえれば、スイミングでも『自分の泳ぎになにが足りないのか』『どうしたら泳ぎが変わるのか』子どもたち自身が考えられるようになり、必ず良い効果があると答えていました。」
ティップネス・キッズ会員の8割はスイミングに通っているが、最近ではスイミングにも通いながらダンス教室にも通うという両立パターンも増えているようだ。そのため、片方のコースでの学びが、もう片方のコースでの学習に役立つシチュエーションは増えていく可能性が高い。
だが問題点もあった。プログラミング教室に通っている生徒のみがアクティブラーニングを多く実践することになるため、通っていない生徒の学習体験は変わらないままだった。そのため、スイミングの現場でもアクティブラーニング実現の方法を模索する必要があった。
スイミングでアクティブラーニングを実践する方法
浦野「しかし、スイミングの現場でアクティブラーニングを実践する方法といっても、なかなか具体的なアイデアや選択肢はありませんでした。そもそもスイミングスクールは事業モデルや指導方法が確立されており、40年以上変化する必要がなかったわけです。そのためスイミングスクールの差別化は、競技選手のクラスや送迎バスの有無、他社よりも価格が安いとか、そういうレベルでしたから。」
浦野が暗中模索する中、ソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社が「スマートスイミングレッスン」というスイミングスクール向けのソリューションを発表する。
浦野「これだと思いました。スマートスイミングレッスンを見た時、子供が何に困っているのか、つまづいているのか、そういうヒントを与えられそうだし、なにより子供の成長が変わりそうだと期待感をもったのを覚えています。その体験はアクティブラーニングそのものでした。」
スマートスイミングレッスンは、ソニーネットワークコミュニケーションズが開発した、スイミングスクール向けスポーツICTソリューション。プールに設置されたカメラで泳いでいる様子を撮影することができ、撮影した映像をレッスン中に活用したり、進級テスト等の映像をクラウドを通じて生徒一人一人のアカウントに配信できる。
生徒は、自分の泳いでいる姿をその場で映像確認できるため、自分自身で上達のヒントに気付くことができる。またコーチから口頭で伝えられたアドバイスを感覚で修正するのではなく、視覚的に理解し修正することもできる。つまり、スイミングスクールの現場でアクティブラーニングを実践するツールそのものというわけだ。
浦野「スマートスイミングレッスン自体がアクティブラーニングを実現する仕組みなので、子供の自発性を引き出しながら、自ら解決する力を育む仕組みになっています。課題だったコーチの属人性も排除できますし、これならティーチングのレベルや仕組みを根本的に変えることができると考えました。」
探し求めていた答えに出会った浦野だが、すぐに導入に踏み切ることはなかった。
浦野「アクティブラーニングの重要性を理解しているからこそ、喉から手が出るほどほしいと思いました。ですが、業界に先駆けた導入には踏み切れませんでした。コロナ禍であったこともあり、安全性に関わるもの以外、新しいシステムや仕組みを導入することについては慎重だったからです。導入するにしても、どのような経験値や知見が必要なのか十分に理解するべきだと思いましたから。」
スマートスイミングレッスンは、2021年5月にルネサンスが、2022年4月にはコナミスポーツクラブが相次いで導入している。浦野は導入前、ルネサンスにスマートスイミングレッスンについてのヒアリングに出向いたという。
浦野「導入を検討している中で、有り難いことにルネサンスさんにスマートスイミングレッスンについてのヒアリングをさせていただきました。本当に参考になりましたね。印象的だったのは『その場で映像を見られるのが子供にとって刺激的なようだ』『子供が真剣に使ってくれている』というもの。子供の変化について生の声を聞けたのは後押しになりました。あとは大人が使い方を説明しないと上手く使えないかな?と懸念していたのですが、今の子供はデジタルネイティブなので操作もサービスの理解も、大人の出る幕はなにもなかったことです。」
こうした他社の助けもあり、ティップネスも本格的にスマートスイミングレッスンの導入を進めることになった。
あくまでも子供のために導入する
スマートスイミングレッスンを導入したフィットネスクラブの専用アプリでは、保護者もレッスンの様子や進級テストの結果を見ることができる。
フィットネスクラブにとっては、進級テストの映像などを届けることで、保護者に我が子の上達を見せることができる。会費を払う保護者に対するアピールにもなるが、ティップネスではその側面をあまり重要視していないという。
浦野「確かに会費をお支払い頂いているのは保護者の方ですし、我が子の泳いでいる映像を見ることで喜んで頂けると思います。ただ、誤解を恐れずに言うと保護者に向けて導入したわけではないんです。保護者への訴求を主眼に置くと『いる・いらない』の議論になり、同じクラスでもサービスを使っている子と使っていない子が出てくる状況が想定されますから。目的はただ一つ、全ての子供たちにアクティブラーニングを提供し学習体験を刷新することです。だから私たちは主語を『お子様の成長』にしなければならないんです。」
決して、コロナ前よりも会員数を伸ばすためだったり、客単価を伸ばすためではない。仮にこの視点にフォーカスすると、保護者に向けたアピール合戦になってしまい、再度「他社よりも安い価格」や「送迎バスの有無」といった差別化のポイントに立ち返ることになる。
コロナ後の「新たな競争」に向けた事業価値の再構築という出発点ではあったものの、そこに至るまでに現場で感じていた課題の本質は「子供たちにとってのより良い学習体験とはなにか」というものだ。その課題解決に必要なツールがスマートスイミングレッスンだった。
浦野「子供たちが『スマートスイミングレッスンがあるからできるようになる、自分の課題に気付くことができる』という状況を作ってあげることが大切だと思っています。子供自身が価値を感じてくれることが一番大事なんです。そして、この学習体験によって子供たちの考え方や物の見方が変わること、これが私たちの実現したいことです。大人の目線にフォーカスすると全てがズレてしまうんですね。」
子供向け事業の本質である「学習体験」をブラッシュアップすることが、事業の本質的な差別化・競争力を生み出すことになる。ティップネスはスマートスイミングレッスンを武器に、コロナ後の「新たな競争」に立ち向かい、事業の価値を市場に問い直す。
スイミング業界が変わると思う
「アクティブラーニング」は、文部科学省から公示されている学習指導要領の考え方にも視点が取り入れられており、プログラミング教室を始めとして導入が進む領域は増えている。一方でスイミングスクールの業界は前述の通り変化を起こすことが難しく、実際サービス面においても努力程度の変化しか起きてこなかったのが事実だ。
浦野「ルネサンスさん、コナミさんがスマートスイミングレッスンを導入したことを知った時『やっぱりこうなっていくんだな』と思いました。スマートスイミングレッスンなら、スイミング業界で初めてアクティブラーニングを仕組みとして実現できるわけですから。スイミングスクール業界が変わると思っています。」
読者の中には「泳いでいる様子を映像で撮って見せるだけであれば、これまでも方法はあったのではないか」と感じられる方もいるだろう。たしかに競技の世界ではコーチが選手を撮影している光景はよく見られる。ただキッズスクールにおいて、大規模に常態的にこれを実現するとなると話は別だ。
そもそも撮影機器にとって、プールのような高温多湿環境は不向きだ。まずハードから課題を解決する必要がある。ソニーのようにハイエンド・業務用カメラの開発製造ノウハウがなければ、この点をクリアすることは難しい。
それに加えて、スマートスイミングレッスンは、進級テスト撮影の際に独自開発のAIアルゴリズムによって泳いでいる対象を複数カメラで自動追尾する上、複数カメラで撮影した映像の自動編集も行う。また対象レーン以外にはモザイク処理が施されプライバシーにも配慮した仕様になっている。
それ以外にも、撮影した映像はクラウドからユーザーに個別配信できるほか、フィットネスクラブの顧客管理システムとも連携できることなどを考えれば、いかに実現するのが難しいかが分かる。ハード、ソフト両面の技術力を持つソニーグループだからこそ実現できたシステムであることは納得頂けるだろう。
浦野「異業種であるソニー様のような会社とディスカッション・コミュニケーションをとりながら、現場での学習体験や業務改善について課題解決していけるのは、弊社に限らず、業界にとって非常に良い機会だと思っています。スマートスイミングレッスンは仕組みそのものですから、子供の学び方を変えることができる。ひいてはスイミングスクール業界の成長につながると思うんです。」
ティップネスでは、スマートスイミングレッスンを活用した「スタディスイム」というサービスを立ち上げ、4月に開業する中野店を皮切り、6月から実運用を開始する予定。その後7月に船橋店、高槻店と続き、8月から12月にかけて毎月6店舗ずつ導入を行う。2023年中にはティップネス・キッズ導入店のほぼ全て、33店舗に導入が完了し運用される見込みだ。
浦野「私としては、お子様一人一人を両手で接客できるスクール運営を目指しています。そのためにはスタッフの人材育成を安全と同様に優先順位を上げて、お子様が将来にわたってティップネスに通っていたことを誇りに思っていただけるよう、これからも成長し続けたいと考えています。その中の一つとして学びの姿勢・方法の変革をスマートスイミングレッスンを活用して推し進めたいと考えています。」
スマートスイミングレッスンに関する詳細はこちら
https://ict.sonynetwork.co.jp/sports/swimming/
ティップネス・キッズ 「スタディスイム」に関する詳細はこちら
https://kids.tipness.co.jp/campaign/ss/
本記事の続編はこちら
本記事のインタビューから10ヶ月後、31店舗にスマートスイミングレッスンの導入が完了したタイミングで、浦野氏・橋口氏に改めてインタビューを行いました。こちらも是非ご覧ください。